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災害時ネットメンバーの被災地訪問

ジョネットの活動に同行して被災地の現状を見ることを目的に7/15-17に仙台を訪問してきました。
被災地の状況を報告します。

<国立みやぎ病院>
15日、亘理郡山元町では、国立みやぎ病院にいきました。この病院の歯科医師をしている
中原さんは、ふぇみんのベトナム希望の村の子どもたち支援の里親です。
病院は津波の影響はなかったのですが、周りは地震津波の被害が深刻で中原さんはその救
援を行っておりました。
全国の里親たちがすぐに救援物資を送り、最初は個人的だった取組を病院がバックアップ
してくれるようになり、待合室の一角が救援物資のコーナーとして患者さんやご家族、
地域の方たちが自由に物資を持っていくことができるという地域の拠点となっていき
ました。
ベトナムの子どもたちからの桜の花の形をしたカードメッセージが桜の木に貼り付けられ
たポスターが届けられていました。
事務の方が、病院内を案内してくださり、4階から見下ろしながら津波が押し寄せてくる様
子を話してくれました。家が飲み込まれ噴煙のような水しぶきが上がると、津波が近づい
てくるという話は臨場感があって恐怖を感じました。
12月に耐震強化した病棟が完成し、旧病棟は閉鎖し新病棟に移ったそうです。
病院内は鉄骨で窓枠などが強化されていました。
3月の地震に危機一髪で間に合ったのですね。津波が近づく中、一階の患者さんたちを
2階に上げて、廊下もいっぱいになったそうです。
また、泥にまみれた地域住民が駆け込んできて非常ベッドをつくるなど拠点病院として必
死の活躍をしたと言うことでした。病院の役割の重要性を改めて認識しました。
親切丁寧に対応してくださり、感謝でした。

<友人Sさんの家>
それから、山元町の友人の家に立ち寄りました。2階建ての家の2階が1階に食い込んで
ひびができたり、住める状況ではありません。毎週帰って整理していると言うのですが、
ほとんどはかどっていません。ひとりでしこしこやってもなかなか難しい、ましてこの
暑さの中、そこにいるだけで疲れそうです。
友人たちに呼びかけて、ボランティアを組織しようということになりました。

その後、海側へ向かいました。亘理の浜、Sさんが子どもたちを連れて遊ばせたという
「鳥の海」浜に行きました。瓦礫の山がたくさん。使用されなくなった「鳥の海ホテ
ル」だけが残り、堤防や防風林はもう見る影すらありませんでした。なのに海は相変
わらずきれいでした・・・・
TORINOUMI

海岸線と平野へなだれ込んだ津波の恐ろしさを見た思いがしました。

<南三陸>
17日はみやぎジョネットの被災地訪問に同行しました。
車3台、スタッフ約15名。ショッキングピンクのTシャツ集団でかなり目立ちます。ジョ
ネットの事務所からたくさんの支援物資を積んで10時過ぎに出発しました。
石巻を通って、三陸道を北上。途中道の駅に寄って(トイレ休憩地域の農家が作ったお
餅やとうもろこし、木の家具や雑貨など販売)三陸道を北上、南三陸町(志津川)で救
援物資をおろしました。
宮城被災地志津川仮設住宅

南三陸は町全体が津波に飲まれ、瓦礫はかなり片づけられていましたが、
南三陸町
町は壊滅、町長や町職員たちが駆け上がった防災センターのさびた鉄骨だけ
が残っていて、町があったことを証明しているようでした。
南三陸町防災センター

その町の一角で小さなお店を始めた方に長靴を届けました。町の小高い丘、志津川小学校脇の仮設住宅に海苔やさ
んを再開しようとしている方が住んでいて、その方に中古のFAXを届けました。御用聞
きのように被災者の要望に応える活動もしているのですね。

それから一路、当日ジョネットサロン開催予定の「気仙沼市民会館」に向けて、車を
飛ばしました。車窓から見えるのは被害の大きさでした。いったいどこから水が入っ
てきたのだろう。入り組んだ湾から津波が入り込んでいるのです。海岸いっぱいに瓦
礫の山が積み上げられていました。でも、遠くをみれば何事もなかったかのように薄
い緑から群青色へと変化していく美しい海が広がっているのです。

<気仙沼>
気仙沼市民会館には100人の女性、男性を含めると200名ぐらいが避難していました。
到着するとお昼の時間帯で、どこかのNGO団体がほっけなど魚を焼いて炊き出しをし
ていました。私たちはその中の和室と化粧室のような所を借りて13:00~16;00の
2時間「サロン」を開きました。
うちわに絵を描く指導の先生が来て、うちわ作りの教室、ネイルケア、ハンドマッ
サージケア、整体などを行いました。
JONET
放送で呼びかけると避難女性たちが集まって
きて希望に応じて参加できます。私はハンドマッサージを担当しました。比較的高
齢の方、中年の方、若い方なども参加していました。一人ひとり終了後聞き取りア
ンケートをして、お土産(日用品など袋につめてセット)をお渡しするという感じ
です。
私は一生懸命ハンドマッサージをしていたのであまり全体が見えなかったのですが、
延べ30人ぐらいの参加のようでした。用意したお土産の残り数えての推定です。
73歳の女性は、気仙沼産まれの気仙沼育ちで一度も他の土地に住んだことがないそ
うで、着の身着のまま逃げたので何ももって来れなかったと言っていました。また、
別の女性はきれいにお化粧をして高価な指輪などもしていて、これをつけて逃げた
のですか?と聞いたら、後で金庫が見つかったんですと言ってました。本当にそん
なこともあるんですね。
「眠れてますか」と聞くと眠れてますということ、暑いのでクーラーも入れてある
らしいです。でも、避難所としてはごちゃごちゃした感じでした。

その後、気仙沼市街を通りましたが、まだ浸水があり、壊れた建物が残っているの
でまるでゴーストタウンでした。岸壁に使用しているのかなあという漁船が数隻留
まっていましたが、焼け焦げた船もありました。TVでは、気仙沼の漁師は負けない、
必ず復興するとういう男たちが登場していましたが、簡単ではなさそう。復旧、復
興はまだまだ、遠い道のりのようです。
KESENNUMA
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プロフィール

SANEjun

Author:SANEjun
2007年SANE(性暴力被害者支援看護師)研修終了。2008年エセナ5女性への性暴力防止のための5回連続講座医療担当。性暴力被害者支援のための活動を行っています

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